怒りがおさまらない、抑えられないのはなぜ?アンガーマネジメント寄りの心のお話

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小濱(おばま)
小濱(おばま)

怒りがおさまらない、怒りが抑えられない、そんな悩みをお持ちの方に、今日は少しその原因についてお話してみようと思います。

アンガーマネジメントとは異なりますが、怒りがどういう仕組みで湧き上がるのか?が少しでも理解できると、怒りというものは相手が原因では無いことがわかります。

重要なのは、嫌なことが目の前に起こった時に、どういう心の状態でいられるか?なんですね。

 

怒りがおさまらない時に自分の中で起きている現象

どうしても怒りがおさまらない時って、ありますよね。

もちろん、人から嫌なことをされたり、言われたりすれば、ほとんどの人が怒りを持ってしまうと思います。

ですが、中には嫌なことをされても言われても、怒りが出て来ない人もいます。

 

怒りが湧き上がらない人は、感情が欠落していると思いますか?

いえ、違います。

どうしても抑えきれない怒りが湧き上がってくるのにはメカニズムがあり、怒りが湧き上がって来ない人は、その人の中に、怒る原因が無いのです。

つまり、怒るということは、その人の中に怒る原因があるんですね。

 

怒りが湧き上がってくる原因とは

さて、上記のように、嫌なことを言われたり、されたりしたとしても、おさまらないくらいの怒りが湧き上がってくる人と、そうでない人がいます。

それは、怒りが湧き上がってくる原因というものが自分の中にあるか無いかで、怒る怒らないの分岐点があります。

 

その原因というのは、ほとんどが「これはこうあるべきだ」「こうでなければいけない」という強い思いによるものです。

それは、インナーチャイルドや、メンタルブロックのように、固くその人の中に残っているものと似ています。

固定観念に近いものと言えばわかりやすいでしょうか。

 

心の可動域の狭さと関係する怒り

心の可動域が狭いと、受け入れられる幅が狭くなります。

自分の中に「これはどうであるべき」「こうでなければいけない」という固定されたものが、心の可動域を狭くさせ、自分の思っているもの以外を受け入れることができなくなってしまいます。

その受入拒否がより強い反発になってしまうことで、怒りがこみ上げて来るのです。

そういった自分の考え以外の人が、世の中にいることさえ許せなくなってしまい、怒りは暴走を始めます。

そして、翌日になっても一週間経っても、何ヶ月か経っても怒りが蘇ってくる場合は、当時の瞬間的に暴走した怒りが強く自分の記憶に残ってしまい、その記憶が蘇ってくるたびに、同じレベルの怒りが込み上がってきて、録画された怒りが無意識レベルで再生されてしまっているのです。

 

心の可動域が広いと、怒りは意外とすぐに消える

逆に心の可動域が広い状態だと、受け入れられる幅が広くなります。

心の可動域が狭い人は、「こういう人はこの世の中にいることは許せない」と思ってしまうのですが、心の可動域が広い人は、「こういう人も世の中にいるよね」と思えるのです。

なので、嫌なことを言ってくる人に対して、「まあ、そう思う人もいるよね」という受け取り方ができるんですね。

つまり、嫌なことを言われたとしても、そのサラッとした感覚でいられると、多少嫌な思いをしたとしても強く自分の中に残ることが無いので、その思いは忘れることができます。

 

先日も、「悩みの一番の解決方法は、悩みの内容自体が頭の中から消えた時」だということをお伝えしました↓

なぜ人は話を聞いてもらうとスッキリするのか
小濱(おばま) 誰にも話せない悩みを持っている人のほとんどは、その悩みの本体の他に、「誰にも話せない」という悩みも抱えて...

つまり、その嫌な出来事が頭の中から消えやすくなる心の状態で捉えることがすごく重要なんですね。

 

怒る人の受け止め方と、怒らない人の受け止め方

心の可動域が狭い人は、「自分の感情に寄り添って欲しい」と思っています。

そのためか、自分の感情に寄り添える人こそが正義であると思っていることがあります。

自分の感情に寄り添えない人は、絶対的な少数派であり、敵または悪だという認識になりがちです。

そのため、自分にとっての敵や味方を作ります。

味方は、自分に合わせてくれる人。

敵は、自分に合わせてくれないから嫌いな人。

本当は、敵に対して強く「自分に合わせて欲しい」とさえも思っているのかもしれません。

 

ですが、心の可動域が広い人は、「自分の感情に寄り添って欲しい」なんて思っていません。

「感情は人それぞれである」ことも理解していて、自分とまったく同じ気持ちになれる人なんて、ほとんどいないということも理解しています。

だからこそ、自分に対して意見が違う人に対して「まあ、違って当然だよね」とあっさりと受け止められるのです。

人は、10人いれば、10通りの意見があっても良いという感性です。

「話が合うときもあれば、話が合わなくなることも普通にある」という感覚なので、敵:味方のどちらかというものの見方にはならないんですね。

 

相手を自分に合わせさせようとすればするほど怒りが出てくる

怒りというものは、「相手をコントロールしたい」という思いの裏返しです。

相手に自分の気持ちをわかって欲しいのです。

相手が自分に合わせて欲しいのです。

 

ですが実際、この世の中はそんなワガママが通用する世界ではありません。

相手をコントロールしたい人どうしがぶつかれば、それが争いに発展して行きます。

そして、いずれは自分の怒りの感情を押さえ込まざるを得ない状況で誰かにコントロールされる側に立つことになります。

 

自分のそうならないためには、自分の怒りの根底にある強い固定観念のようなものを消し去り、心の可動域を広く保った状態で、ものごとを捉えられるようになることが必要なのかもしれません。

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