恋愛の初段階は、感情がとても楽しいですよね。
ですが、恋愛のピークが過ぎた後、恋愛期間中に作り上げた負の遺産があらわになります。
その時、あんなに好きだった相手に対して、憎しみの感情が湧き上がってくるのです。
今回の記事では、「好きだった相手のことを嫌いになる現象」について書いてみました。
好きが憎しみに変わる
人が恋をすると、とてもドキドキキュンキュンして楽しいですよね。
その感情を楽しむことが恋の醍醐味でもあります。
ですが、そういった恋愛の期間を通り過ぎると、その「大好き」という感情が、「もう大っ嫌い!」という思いや憎しみに変わることもあります。
なぜそのような現象が起きてしまうのでしょうか?
好きの真逆にあるもの
皆さんは、好きの真逆にあるものは何だと思いますか?
好きの反対は「嫌い」だと思いますか?
違います。
好きの反対は、無関心なんです。
もっというと、嫌いの反対も、無関心なんです。
実は、「好き」と「嫌い」は、実は同じような心の状態だということなんですね。
恋をすると湧き上がってくる心の中の闇
ここでいう「好き」は、恋愛感情の好きです。
好きな食べ物や、趣味の好きとは違いますので、その点をご理解の上、読み進めて頂ければと思います。
恋をすると、相手を好きになります。
好き過ぎて、逢いたくて、話したくて、触れたくて、たまらなくなります。
そういう感情になるとき、心の中には、いくつかの闇(弱さ)が生まれて来ます。
その代表的な闇(弱さ)が、相手に対しての「期待」です。
恋の最初の段階
恋しているときの期待は、最初の段階では、ドキドキキュンキュンさせてくれるので、とても高揚感を得られます。
- こうしてくれると嬉しいな…
- すごく優しい言葉をかけてくれた…
- 私の気持ちをわかってくれるなんて素敵…
- 私の理想どおりの人で良かった…
といったような、自分にとって白馬の王子様のような存在に見えます。
これが、心の中に湧き上がる「期待感」に対して、期待どおりのものを得られた時に湧き上がってくる感情です。
恋のピークが過ぎた後
恋の初段階だと相手としても「自分を好きになって欲しい」という思いがあるので、一生懸命合わせてくれようとするからこそ、期待どおりのことを頻繁にやってくれます。
ですが、恋も大きく盛り上がりピークが過ぎると、他のことに興味が向き始め、優先順位が変わり始めます。
ですが、自分自身の期待によって作られた「恋人ならば、こうするのが当たり前」という概念は、消えることなく根強く残っています。
すると、その時の相手の気持ちなど考えることなく、
- 恋人だったらこうするのが普通よね。
- 恋人なのに、なぜこうしてくれないの?!
- 恋人ならば、絶対にこういうことをしてはダメ!
- 昔は優しかったのに、今は全然私に優しくしてくれない。
と、自分の中で作り上げたルールを相手に押し付けたくなります。
実は、この現象が「嫌い」という感情に発展するのです。
嫌いという思いは、自分の思い通りにいかないことから生まれる
上記で、恋愛において好きだった相手のことを嫌いになる流れが、なんとなく見えたかと思います。
つまり、なぜ嫌いなのか?というと、「相手が自分の思い通ったとおりにしてくれないから」なんですね。
つまり、「相手に自分の理想のままであって欲しい」という思いがあるんです。
理想のままでいてくれたら好きでいられるんですね。
そして、その理想というのは、自分の心の中から発生した「期待」から、それを作りあげてしまったのです。
その人を好きでいたい気持ちがあるからこそ、理想どおりでは無くなったその人を嫌いになってしまうという現象が起きる。
これが、恋愛において「好き」と「嫌い」が同じ位置づけだということになります。
恋から愛に進化するには
ここで、恋の期間に生まれてくる「期待感」がどれほど自分本位なものかを理解頂けたかと思います。
そこで、「恋は自分本位なもの」とセットでよく言われるのが「愛は相手本位」ということです。
なので、恋はずっとは続きませんが、その関係性を愛に発展させることで、その相手を嫌いにならずに済むのかもしれません。
では、どうすれば良いのか?ですが、まずは恋をしていた次元にいた時に作り上げたものを、消し去ることです。
恋をしていた時、あなたは何を作り上げましたか?
自分勝手に期待して、どのような思い込み、相手に求めることを作り上げましたか?
本当に、自分も相手も縛り上げるような自分本位の状態から脱却していくのであれば、それらを一つひとつ消していく作業が必要です。
期待がすべて消えて無くなった時に、感じる何か
相手に対する期待にまみれている状態だと、モヤモヤねちねちした感情がうずまいていますが、それらをすべて消したあとの感覚は、サラッとしている感覚になります。
相手が何かをやってみたいと言った時に、恋愛期間中は「ダメ!私のことを考えてこうして欲しい」と言ってしまっていたのが、「自己責任でやってみれば良いんじゃない?」と普通に答えることができます。
個人の自由意志を尊重し始め、個人の自由度が高くなる感覚でしょうか。
個人というのは、相手だけではありません。自分も含まれています。
実は、相手に対する期待を消し去ると、自分も自由度が上がります。
期待によって生まれていた苦しみから開放されるからです。
相手も、自分も、何にも縛られていない、軽い感覚。
相手も自分も、本当にそうなった時に、愛というものが何なのかを感じられるのかもしれません。
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